詩吟は日本独自の伝統的な文化の一つです。日本人は奈良・平安時代の昔から漢詩を学び、自ら漢文で詩を作って来ました。 Chanting of a Chinese poetry or Japan-made Chinese poetry is one of the traditional culture unique to Japan. Japanese people learned Chinese poetry from the ancient times of the Nara-Heian period, and have made Japan-made poetry of Chinese letter by themselves. 


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過去の吟題のリンク集

2017年10月27日

H29-11『寒夜の即事』寂室元光

寒夜即事 寂室元光


風攪寒林霜月明

客來清話過三更

爐邊閣筯忘煨芋

靜聴敲窓葉雨聲


寒夜(かんや)即事(そくじ) 寂室(じゃくしつ)元光(げんこう)


(かぜ)寒林(かんりん)(みだ)して霜月(そうげつ)(あきら)かなり

(かく)(きた)って清話(せいわ)三更(さんこう)(す)

炉辺(ろへん)(はし)(お)いて(いも)(や)くを(わす)

(しず)かに(き)けば(まど)(たた)(ようう)(こえ)


以下は、『吟剣詩舞道漢詩集〔絶句編〕』(財団法人 日本吟剣詩舞振興会編)からそのまま引用します。但し、数字はアラビア数字で示します。

【作者】寂室元光(12901367) 鎌倉・室町時代の高僧。臨済宗永源寺の開山。俗姓は藤原、名は元光、字は寂室。

美作(岡山県)の人。15歳で剃髪。元応2年、元に渡り、天目山で禅僧中峰に会い、その教えを受けて帰った。源氏頼から領国近江(滋賀県)の雷渓の地の寄進を受け、そこに永源寺を創設し、禅の道場とした。

【解説】いつどこで作られたか不明。山中の趣致と山僧の境涯を述べたもの。

【語釈】*即事・・・即吟に同じ。その場において詩歌を作る。またその詩歌。  *寒林・・・冬枯れの林。淋しい森。仏教では墓地をもいう。  *霜月・・・しも夜の月。寒月。  *清話・・・清談。俗世をはなれた話。  *三更・・・夜を五更に分けた第三の時刻。今の午後12時およびその前後1時間をさす。  *煨芋・・・芋は里芋。さつまいもではない。煨は熱灰に埋めて焼く。  *葉雨・・・雨のように降る落葉。

【通釈】 

時おり風がざわざわと

冬枯れの林の枝を鳴らして過ぎ、

  霜の白く置いた晩なので、

  ことに月の光は冴え冴えとしている。

  このような山寺にも

  人の訪れることがあって、

  浮世ばなれした話に時の移るのも忘れ、

  気がつけばもうとうに夜半すぎ、

  さすがに腹も空き、寒さも増してきたことゆえ

  熱い焼芋でもと思ったが、

  おやまた誰か来たらしく

  戸をほとほとと叩く音。

  今時分、また誰かきたのだろうといぶかり、

  炉ばたに火箸を置いてしばし耳を澄ませば、

  なんと、それは雨のように降りそそぐ落葉の音であった。


以下に若干の補足説明をします。仏教は古代インドの原典から漢字に翻訳されたものが日本に伝来された後、インドでも中国でも韓半島でも廃れてしまいました。漢字は中国では略された簡単な文字に変わり、韓半島では15世紀に発明されたハングル文字しか使われなくなり、日本と戦前日本の統治下にあった台湾だけで使われています。

日本人は詩吟で古代の漢字を学び、日常生活では漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字・外来語などを自由に使い、ものごとを自由に表現しています。

@ 禅

  禅はサンスクリット語のdhyāna、パーリ語のjhānaの音写です。因みにサンスクリット語は古代インド・南アジア・東南アジアで用いられた古代語、パーリ語は古代中西部で用いられた古代語で、いずれもアーリア語系の言語です。アーリア人は中央アジアの草原(樹木の無い平原で・ステップ地帯)を出自とする人々で、ペルシャ人(現在のイラン人)・タジク人・パシュトゥーン人・北部インド人などに分れた人々です。

A 禅宗

  文字は言葉の上には真実の仏法がないと言う立場で、中心的な経典は立てず、ほとけの悟りの機微は師から弟子へと受け継ぐべきものであってそれが仏法の派となって後世に伝えられるという考え方のもとに、座禅・修業に励む仏教の一派です。

禅宗の開祖は達磨・達磨祖師・達磨大師と呼ばれる古代インド人の仏教僧です。因みに、達磨はサンスクリット語のdharmaで、一口に言えば「法(=仏陀のおしえ)」の意味です。

禅宗は中国の唐の時代・から宋の時代にかけて発展し、モンゴル人が皇帝であった元の時代においてもその勢力は健在でしたが、明の時代になると衰退しました。漢族ではない女真族が皇帝になっていた清の時代でも仏教は栄えず、清王朝に次の中国共産党の時代になると仏教は激しい弾圧を受けています。

B 日本の禅宗


  日本の禅宗には臨済宗と曹洞宗と黄檗宗(おうばくしゅう)があります臨済宗は中国の南宋に留学した栄西が帰国後広めた宗派です。曹洞宗は、道元が栄西の弟子・明全に師事し、後に明全と共に南宋に渡り中国曹洞禅の只管打坐(余念を交えず、ただひたすらに座禅すること)の禅を、師の如浄から受け継いで印可(師がその道に達した弟子に与える許可)を受け、帰国後広めた宗派です。黄檗宗は江戸時代に始まった一宗派です。


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2017年10月15日

H29-10『秋思』劉 禹錫

 

自古逢秋悲寂寥

我言秋日勝春朝

晴空一鶴排雲上

便引詩情到碧霄


秋思(しゅうし)  禹錫(りゅう うしゃく)


(いにしえ)より(あき)(お)うて寂寥(せきりょう)(かな)しむ

(われ)(ゆ)秋日(しゅうじつ)春朝(しゅんちょう)(まさ)ると

晴空(せいくう)一鶴(いっかく)(くも)(はい)して(のぼ)

便(すなわ)詩情(しじょう)(ひ)いて碧霄(へきしょう)(いた)


【作者】先月の吟題『秋風の引』ご参照。

【語釈】*自(より)・・・前置詞。自古(「古」の前に置いてある字句)  *寂寥・・・ものさびしいさま。ひっそりしているさま。  *排・・・(ものをおしのける。おしひらく。  *便・・・副詞で「すなわち」と訳す。この「便」を動詞「引」の前に置く。  *碧霄・・・あおぞら。碧空。


【通釈】(財団法人日本吟剣詩舞振興会編『吟剣詩舞道漢詩集』より引用。)


  昔から人は秋になるとその静かで寂しいことを悲しむが、

  私は秋の日のなかのほうが春の朝に勝っていると言いたい。

  晴れ上がった空高く一羽の鶴が雲を押し分けて上がると

  人のうた心をいざなって、大空の上まで昇らしめるようである。


寸評:秋の感じ方は人それぞれですね。

   今からおよそ1230年前に生きていた中国の詩人・劉禹錫は、「大空が碧い」と認識したのですが、そのときその場所にいた別の人は「晴れた空に薄雲が漂っている」と認識したかもしれません。

   同じものを見ても、見る人の受け止め方は様々です。しかし、人は想像力を働かせて、自分が「空が碧い」と認識した事実をお互いに共有することが出来ます。

   しかし、最も確かなことは、「自分が認識したことは、自分に限った真実である」ということだと思います。

   

posted by 信風 at 15:19| 当月の吟題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月23日

H29-09『秋風の引』劉禹錫

秋風(しゅうふう)(いん)(りゅう)禹錫(うしゃく)

 

(いず)れの(ところ)よりか秋風(しゅうふう)(いた)

蕭蕭(しょうしょう)として雁群(がんぐん)(おく)

朝来(ちょうらい)庭樹(ていじゅ)(い)って 

孤客(こきゃく)(もっ)とも(さき)(き)


秋風引 劉禹錫

何處秋風至

蕭蕭送雁群

朝來入庭樹

孤客最先聞


【作者】劉禹錫(772842)中唐の詩人。中唐は西暦766835年の間。古文復興運動が盛んになり始めた時期です。劉禹錫は白居易(白楽天)とも親交があり、「詩豪」と称されました。

 因みに、李白は「詩仙」、杜甫は「詩聖」、王維は「詩仏」と称されています。


古文復興運動とは、前漢(紀元前206〜紀元後208年)以前の古文(『孟子』・『荘子』・『荀子』・『史記』などの散文)を模範として、思想を自由に表現し、達意(言いたい内容を十分に伝える)を主とする文章を作るべきであるという主張、およびその文章上の運動です。


荀子は紀元前313238年)の人で、孔子(紀元前552479年)の学を伝え、礼を重んじたが、孟子の性善説に対して性悪説を主張しています。


なお、『史記』は前漢の司馬遷の著である古代中国の歴史書のことです。荘子は戦国時代(紀元前403211年)の思想家で、老子の「無為自然」の思想を受け継いで主張し、儒家と対立しています。老子は周代(紀元前1030256年)の思想家で、無為自然の道を唱え、自然の法則にも基づく「道」の絶対性を説いています。その言説は道家の経典として尊ばれ、老子は「道家の祖」と言われています。


「道家」は、礼儀・道徳を基調とした秩序ある社会を築こうとする「儒家」に対して、天性に従い、人為を否定する無為自然を尊び、無為によって外的な強制を拒み、外物に侵されることのないことを主旨とするものです。

(以上、大修館書店『漢詩漢文小百科』を参考に記述しました。)

【語釈】*蕭・・・@馬がいななく声の形容。Aひゅうひゅうと風の吹き抜けるさま。B風雨の音の形容。Cものさびしいさま。(「蕭」そのものは茎が細く葉の小さい草の名前で特有の香りがある「よもぎ」のことす。「蕭」は形容詞として「心細い・ものさびしいさま」を表現しています。)    *朝来・・朝早くから。


【通釈】(NHK『漢詩への誘い』(石川忠久)20014月より))

どこからか秋風が吹きはじめた。

寂しげな風が雁の群れを送ってきた。

朝がたの庭の木々の間をわたって枝々をざわつかせるその音を、

耳ざとく、いち早く聴きつけたのは孤独な旅人の私である。


【感想】古代中国では思想を自由に表現し、達意を主とする文章を作ろうという運動がありました。「共産党一党独裁の王朝」のような現代の中国ではどうでしょうか? 


 「儒家」の学問である「儒学」には「朱子学」と「陽明学」があります。「朱子学」は学問研究と実践道徳とによって自己を完成すべきことを修養の目的としています。一方「陽明学」は、「致良知」「知行合一」などの実践道徳を強調し、万物すべて自分の心がもとであるとして、自分が天から授かった良知を完全に発揮することを修養の目的とします。

「知行合一」とは、知識と行為とは同一体のもので、真の知は必ず行を伴うものであり、知って行わないのは真の知ではないと説くものです。

(以上、『漢詩漢文小百科』を参考に記述しました。)


 我が国の陽明学の大家は中江藤樹と熊沢蕃山です。江戸時代、一部の儒学者は藩校で朱子学を教えて俸禄を貰い、自宅では私塾を開いて陽明学を教えていました。これは半ば公認の形でした。陽明学はある意味では実用主義的な学問です。吉田松陰・高杉晋作・西郷隆盛・河井継之助・佐久間象山らは陽明学の影響を受けています。日本の近代化は江戸末期のそういう知性により成し遂げられたのです。

 それに対して、当時の中国・朝鮮では朱子学一辺倒でした。同じ時代に日本で出来たことが中国・朝鮮ではできなかったのは何故でしょうか?

私は、それは我々日本人が16000年前から3000年前までの実に13000年間も続いていた縄文時代に身に付いたものを受け継いでいること、及び弥生時代以降我々日本人の先祖である縄文人が、大陸から渡来してきた人たち混血し、多様な考え方をする文化を獲得していたからだと考えます。ちなみに我々日本人のDNAは大陸の人たちのDNAとかけ離れていることが最近明らかになっています。その理由は、我々日本人が縄文人のDNAを受けて継いでいるからです。縄文人はアフリカ人・ヨーロッパ人の先祖に次ぐ古い系統の人類です。



posted by 信風 at 16:41| 当月の吟題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月29日

H29-08『鹿柴』王維

『鹿柴』王維

    水2本

       7本一オクターブ下

 

   6本伴奏


鹿柴(ろくさい) 王維(おうい)


空山(くうざん)(ひと)(み)

(ただ)人語(じんご)(ひびき)(き)

返景(へんけい)深林(しんりん)(い)

(また)青苔(せいたい)(うえ)(てら)


空山不見人

但聞人語響

返景入深林

復照青苔上


下記解説は『吟剣詩舞道漢詩集』(㈶日本吟剣詩舞振興会編)より引用しています。

【作者】王維(699759)、一説に(701761)。盛唐の詩人。太原(たいげん)(山西省祁県(ぎけん))の人。九歳で詩文を作ることを知り、草書や隷書に巧みであり、また音律にも通じていた。王維は陶淵明の流風を継承した田園詩派の第一人者である。仏教を信じ、その人生観・文学観も仏教的静寂の境地に達していたので、李白の詩仙、杜甫の詩聖に対し、詩仏と言われている。

【語釈】*空山・・・人気のない山。   *返景・・・夕日の光。

【通釈】シーンと静まりかえった山には、人かげ一つ見えない。

    だが、どこからともなく人の話し声が聞こえてくる。

    夕日の光が深い林の中からさしこんできて、

    木の根もとの青い苔を照らしている。


奈良時代に唐(当時の中国)に留学生として派遣されていた阿倍仲麻呂は猛勉強の末官吏になる試験(科挙)を受けて合格し、唐王朝の官吏になって昇進していったのですが、53歳のとき日本に帰国するため遣唐使船の帰国の船に乗りました。

しかし沖縄を経て奄美大島に向かうとき暴風雨に遭い、安南(ベトナム)に漂着し、命からがら再び唐の都・長安(今の西安)に戻り、70歳で没しています。

阿倍仲麻呂(唐における名前は晁衡、高位の官職を表す‘卿’を挟んで晁卿衡)は、李白や王維とも親交があり、阿部仲麻呂が日本に帰国する前百官が送別の宴を開いたとき、王維は『送秘書晁監還日本國』と題する詩を贈っています。

なお、古代に西蕃(高句麗・百済・新羅)が中国の冊封体制下にある状況下、日本は中国の冊封体制を忌避していました。西暦607年に当時の中国・隋に派遣された小野妹子が携行した日本の国書には「日出處天子、致書日没處天子、無恙、云々。帝覧之不悦、・・・」、と唐初に編纂された『隋書倭國傳』にあります。『日本書記』欽明天皇九年夏四月の条には「西蕃皆稱日本天皇、爲可畏天皇。(にしのとなりのくにみなやまとのすめらみことをまうしてかしこきすめらみこととしたてまつる)」と出ています。

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2017年07月20日

H29-07『鍾山即事』王安石

『鍾山即事』王(おう)安石(あんせき) 

(6本)

(3本)

澗水無聲繞竹流

竹西花草露春柔

簷相對坐終日

一鳥不鳴山更幽


澗水(かんすい)(こえ)(な)(たけ)(めぐ)って(なが)

竹西(ちくせい)花草(かそう)春柔(しゅんじゅう)(あら)わす

(ぼうえん)(あい(たい)して(ざ)すること終日(しゅうじつ)

一鳥(いっちょう)(な)かず(やま)(さら)(ゆう)なり


以下は『吟剣詩舞道漢詩集』(㈶日本吟剣詩舞振興会編)より引用しています。

【作者】王安石(10211086) 北宋の詩人・文章家・政治家。1079年より鍾山に隠棲。

杜甫の影響を受け、その詩風は華麗と評される。絶句においては北宋第一とされる。

【語釈】*鍾山・・・今の南京の東北にある名山・金陵(紫金山)。  *即事・・・その場の見たままを詠ずること。  *澗水・・・谷間を流れる水。  *露・・・あらわす。*春柔・・・若草のなよなよと柔らかいこと。  *茅簷・・・かやぶきの軒(のき)。   *相対・・・鍾山に向かい合う。  *終日・・・一日中。 

【通釈】谷川の水は音も無く竹林をめぐって流れている。

    その竹林の西には花や草が春のなよなよとした

    やわらかをあらわしている。

    自分はかやぶきののきの下にすわって

    一日中・鍾山に向かい合っていると、

    一羽の鳥の鳴き声も聞こえず、

    山はいよいよ静かである。

    

posted by 信風 at 15:01| 当月の吟題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする