詩吟は日本独自の伝統的な文化の一つです。日本人は奈良・平安時代の昔から漢詩を学び、自ら漢文で詩を作って来ました。 Chanting of a Chinese poetry or Japan-made Chinese poetry is one of the traditional culture unique to Japan. Japanese people learned Chinese poetry from the ancient times of the Nara-Heian period, and have made Japan-made poetry of Chinese letter by themselves. 


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過去の吟題のリンク集

2017年10月15日

H29-10『秋思』劉 禹錫

 

自古逢秋悲寂寥

我言秋日勝春朝

晴空一鶴排雲上

便引詩情到碧霄


秋思(しゅうし)  禹錫(りゅう うしゃく)


(いにしえ)より(あき)(お)うて寂寥(せきりょう)(かな)しむ

(われ)(ゆ)秋日(しゅうじつ)春朝(しゅんちょう)(まさ)ると

晴空(せいくう)一鶴(いっかく)(くも)(はい)して(のぼ)

便(すなわ)詩情(しじょう)(ひ)いて碧霄(へきしょう)(いた)


【作者】先月の吟題『秋風の引』ご参照。

【語釈】*自(より)・・・前置詞。自古(「古」の前に置いてある字句)  *寂寥・・・ものさびしいさま。ひっそりしているさま。  *排・・・(ものをおしのける。おしひらく。  *便・・・副詞で「すなわち」と訳す。この「便」を動詞「引」の前に置く。  *碧霄・・・あおぞら。碧空。


【通釈】(財団法人日本吟剣詩舞振興会編『吟剣詩舞道漢詩集』より引用。)


  昔から人は秋になるとその静かで寂しいことを悲しむが、

  私は秋の日のなかのほうが春の朝に勝っていると言いたい。

  晴れ上がった空高く一羽の鶴が雲を押し分けて上がると

  人のうた心をいざなって、大空の上まで昇らしめるようである。


寸評:秋の感じ方は人それぞれですね。

   今からおよそ1230年前に生きていた中国の詩人・劉禹錫は、「大空が碧い」と認識したのですが、そのときその場所にいた別の人は「晴れた空に薄雲が漂っている」と認識したかもしれません。

   同じものを見ても、見る人の受け止め方は様々です。しかし、人は想像力を働かせて、自分が「空が碧い」と認識した事実をお互いに共有することが出来ます。

   しかし、最も確かなことは、「自分が認識したことは、自分に限った真実である」ということだと思います。

   

posted by 信風 at 15:19| 当月の吟題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月23日

H29-9『秋風の引』劉禹錫

秋風(しゅうふう)(いん)(りゅう)禹錫(うしゃく)

 

(いず)れの(ところ)よりか秋風(しゅうふう)(いた)

蕭蕭(しょうしょう)として雁群(がんぐん)(おく)

朝来(ちょうらい)庭樹(ていじゅ)(い)って 

孤客(こきゃく)(もっ)とも(さき)(き)


秋風引 劉禹錫

何處秋風至

蕭蕭送雁群

朝來入庭樹

孤客最先聞


【作者】劉禹錫(772842)中唐の詩人。中唐は西暦766835年の間。古文復興運動が盛んになり始めた時期です。劉禹錫は白居易(白楽天)とも親交があり、「詩豪」と称されました。

 因みに、李白は「詩仙」、杜甫は「詩聖」、王維は「詩仏」と称されています。


古文復興運動とは、前漢(紀元前206〜紀元後208年)以前の古文(『孟子』・『荘子』・『荀子』・『史記』などの散文)を模範として、思想を自由に表現し、達意(言いたい内容を十分に伝える)を主とする文章を作るべきであるという主張、およびその文章上の運動です。


荀子は紀元前313238年)の人で、孔子(紀元前552479年)の学を伝え、礼を重んじたが、孟子の性善説に対して性悪説を主張しています。


なお、『史記』は前漢の司馬遷の著である古代中国の歴史書のことです。荘子は戦国時代(紀元前403211年)の思想家で、老子の「無為自然」の思想を受け継いで主張し、儒家と対立しています。老子は周代(紀元前1030256年)の思想家で、無為自然の道を唱え、自然の法則にも基づく「道」の絶対性を説いています。その言説は道家の経典として尊ばれ、老子は「道家の祖」と言われています。


「道家」は、礼儀・道徳を基調とした秩序ある社会を築こうとする「儒家」に対して、天性に従い、人為を否定する無為自然を尊び、無為によって外的な強制を拒み、外物に侵されることのないことを主旨とするものです。

(以上、大修館書店『漢詩漢文小百科』を参考に記述しました。)

【語釈】*蕭・・・@馬がいななく声の形容。Aひゅうひゅうと風の吹き抜けるさま。B風雨の音の形容。Cものさびしいさま。(「蕭」そのものは茎が細く葉の小さい草の名前で特有の香りがある「よもぎ」のことす。「蕭」は形容詞として「心細い・ものさびしいさま」を表現しています。)    *朝来・・朝早くから。


【通釈】(NHK『漢詩への誘い』(石川忠久)20014月より))

どこからか秋風が吹きはじめた。

寂しげな風が雁の群れを送ってきた。

朝がたの庭の木々の間をわたって枝々をざわつかせるその音を、

耳ざとく、いち早く聴きつけたのは孤独な旅人の私である。


【感想】古代中国では思想を自由に表現し、達意を主とする文章を作ろうという運動がありました。「共産党一党独裁の王朝」のような現代の中国ではどうでしょうか? 


 「儒家」の学問である「儒学」には「朱子学」と「陽明学」があります。「朱子学」は学問研究と実践道徳とによって自己を完成すべきことを修養の目的としています。一方「陽明学」は、「致良知」「知行合一」などの実践道徳を強調し、万物すべて自分の心がもとであるとして、自分が天から授かった良知を完全に発揮することを修養の目的とします。

「知行合一」とは、知識と行為とは同一体のもので、真の知は必ず行を伴うものであり、知って行わないのは真の知ではないと説くものです。

(以上、『漢詩漢文小百科』を参考に記述しました。)


 我が国の陽明学の大家は中江藤樹と熊沢蕃山です。江戸時代、一部の儒学者は藩校で朱子学を教えて俸禄を貰い、自宅では私塾を開いて陽明学を教えていました。これは半ば公認の形でした。陽明学はある意味では実用主義的な学問です。吉田松陰・高杉晋作・西郷隆盛・河井継之助・佐久間象山らは陽明学の影響を受けています。日本の近代化は江戸末期のそういう知性により成し遂げられたのです。

 それに対して、当時の中国・朝鮮では朱子学一辺倒でした。同じ時代に日本で出来たことが中国・朝鮮ではできなかったのは何故でしょうか?

私は、それは我々日本人が16000年前から3000年前までの実に13000年間も続いていた縄文時代に身に付いたものを受け継いでいること、及び弥生時代以降我々日本人の先祖である縄文人が、大陸から渡来してきた人たち混血し、多様な考え方をする文化を獲得していたからだと考えます。ちなみに我々日本人のDNAは大陸の人たちのDNAとかけ離れていることが最近明らかになっています。その理由は、我々日本人が縄文人のDNAを受けて継いでいるからです。縄文人はアフリカ人・ヨーロッパ人の先祖に次ぐ古い系統の人類です。



posted by 信風 at 16:41| 当月の吟題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月29日

H29-08『鹿柴』王維

『鹿柴』王維

    水2本

       7本一オクターブ下

 

   6本伴奏


鹿柴(ろくさい) 王維(おうい)


空山(くうざん)(ひと)(み)

(ただ)人語(じんご)(ひびき)(き)

返景(へんけい)深林(しんりん)(い)

(また)青苔(せいたい)(うえ)(てら)


空山不見人

但聞人語響

返景入深林

復照青苔上


下記解説は『吟剣詩舞道漢詩集』(㈶日本吟剣詩舞振興会編)より引用しています。

【作者】王維(699759)、一説に(701761)。盛唐の詩人。太原(たいげん)(山西省祁県(ぎけん))の人。九歳で詩文を作ることを知り、草書や隷書に巧みであり、また音律にも通じていた。王維は陶淵明の流風を継承した田園詩派の第一人者である。仏教を信じ、その人生観・文学観も仏教的静寂の境地に達していたので、李白の詩仙、杜甫の詩聖に対し、詩仏と言われている。

【語釈】*空山・・・人気のない山。   *返景・・・夕日の光。

【通釈】シーンと静まりかえった山には、人かげ一つ見えない。

    だが、どこからともなく人の話し声が聞こえてくる。

    夕日の光が深い林の中からさしこんできて、

    木の根もとの青い苔を照らしている。


奈良時代に唐(当時の中国)に留学生として派遣されていた阿倍仲麻呂は猛勉強の末官吏になる試験(科挙)を受けて合格し、唐王朝の官吏になって昇進していったのですが、53歳のとき日本に帰国するため遣唐使船の帰国の船に乗りました。

しかし沖縄を経て奄美大島に向かうとき暴風雨に遭い、安南(ベトナム)に漂着し、命からがら再び唐の都・長安(今の西安)に戻り、70歳で没しています。

阿倍仲麻呂(唐における名前は晁衡、高位の官職を表す‘卿’を挟んで晁卿衡)は、李白や王維とも親交があり、阿部仲麻呂が日本に帰国する前百官が送別の宴を開いたとき、王維は『送秘書晁監還日本國』と題する詩を贈っています。

なお、古代に西蕃(高句麗・百済・新羅)が中国の冊封体制下にある状況下、日本は中国の冊封体制を忌避していました。西暦607年に当時の中国・隋に派遣された小野妹子が携行した日本の国書には「日出處天子、致書日没處天子、無恙、云々。帝覧之不悦、・・・」、と唐初に編纂された『隋書倭國傳』にあります。『日本書記』欽明天皇九年夏四月の条には「西蕃皆稱日本天皇、爲可畏天皇。(にしのとなりのくにみなやまとのすめらみことをまうしてかしこきすめらみこととしたてまつる)」と出ています。

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2017年07月20日

H29-07『鍾山即事』王安石

『鍾山即事』王(おう)安石(あんせき) 

(6本)

(3本)

澗水無聲繞竹流

竹西花草露春柔

簷相對坐終日

一鳥不鳴山更幽


澗水(かんすい)(こえ)(な)(たけ)(めぐ)って(なが)

竹西(ちくせい)花草(かそう)春柔(しゅんじゅう)(あら)わす

(ぼうえん)(あい(たい)して(ざ)すること終日(しゅうじつ)

一鳥(いっちょう)(な)かず(やま)(さら)(ゆう)なり


以下は『吟剣詩舞道漢詩集』(㈶日本吟剣詩舞振興会編)より引用しています。

【作者】王安石(10211086) 北宋の詩人・文章家・政治家。1079年より鍾山に隠棲。

杜甫の影響を受け、その詩風は華麗と評される。絶句においては北宋第一とされる。

【語釈】*鍾山・・・今の南京の東北にある名山・金陵(紫金山)。  *即事・・・その場の見たままを詠ずること。  *澗水・・・谷間を流れる水。  *露・・・あらわす。*春柔・・・若草のなよなよと柔らかいこと。  *茅簷・・・かやぶきの軒(のき)。   *相対・・・鍾山に向かい合う。  *終日・・・一日中。 

【通釈】谷川の水は音も無く竹林をめぐって流れている。

    その竹林の西には花や草が春のなよなよとした

    やわらかをあらわしている。

    自分はかやぶきののきの下にすわって

    一日中・鍾山に向かい合っていると、

    一羽の鳥の鳴き声も聞こえず、

    山はいよいよ静かである。

    

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2017年06月25日

H29-06『春』島崎藤村

*スマートホンでお聞きにならないれるときアクセスを邪魔するるような広告が表示されているようです。

 私は広告を一切出していません。表示される広告は私と全く無関係です。


この詩文は岳精流日本吟院総本部発行『詩吟教本』から引用させて頂きました。この詩文には島崎藤村の新体詩『春』に中国北宋の詩人蘇軾の『春夜』が挟まれています。

吟詠にあたりこの教本に示されている吟譜に忠実に沿うように心がけました。


(7本 一オクターブ下 合吟練習用

㈠ (たれ)かおもわん鶯(うぐいす)

  涙(なみだ)もこおる冬(ふゆ)の日(ひ)

  若(わか)き命(いのち)は春(はる)の夜(よ)

  花(はな)にうつろう夢(ゆめ)の間(ま)

  ああよしさらば美酒(うまざけ)

  うたいあかさん春(はる)の夜(よ)


    春宵(しゅんしょう)一刻(いっこく)(あたい)千金(せんきん)

    花(はな)精香(せいこう)(あ)(つき)(かげ)(あ)

    歌管(かかん)楼台(ろうだい)(こえ)細細(さいさい)

    鞦韆(しゅうせん)院落(いんらく)(よる)沈沈(しんしん)

    

      春宵一刻直千金

      花有清香月有陰

      歌管樓臺聲細細

      鞦韆院落夜沈沈


㈡ 梅(うめ)の匂(にお)いにめぐりあう

  春(はる)を思(おも)えばひと知(し)れず

  からくれないのかおばせに

  流(なが)れてあつき涙(なみだ)かな

  ああよしさらば花(はな)かげに

  うたいあかさん春(はる)の夜(よ)

  

島崎藤村】明治5年(西暦1872年)〜唱和18年(1943年)。今の長野県出身。9歳の時、学問のため上京し同郷の吉村家に寄宿しながら日本橋の泰明小学校に通う。本名・島崎春樹。


蘇軾10301101年。北宋(9601127年)の詩人・文章家。『荘子』を読んで「この書わが心を得たり」と感嘆したと伝わる。26歳のとき弟とともに進士に合格。知事をしていたとき彼の作詞に朝政を誹謗した詩があるとして死刑に処せられそうになったことがある。


【蘇軾の『春夜(しゅんや)』】この詩は王安石(10211086年)の『夜直(やちょく)』とともに、春の夜を詠じた詩として双璧と言われた。

因みに蘇軾の『夜直』は以下のとおり。

  金爐香盡漏聲殘

    金炉(きんろ)(こう)(つ)きて漏声(ろうせい)(ざん)

  剪剪輕風陣陣寒

    剪々(せんせん)たる軽風(けいふう)陣々(じんじん)(さむ)

  春色惱人眠不得

    春色(しゅんしょく)(ひと)(なや)まして(ねむ)(え)

  月移花影上闌干

    (つき)(うつ)って花影(かえい)闌干(らんかん)(のぼ)


【『春夜』の語釈及び通釈】(財団法人 日本吟剣詩舞振興会編『吟剣詩舞道漢詩集』より引用。)

  (語釈)*春宵・・・春夜に同じ。   *一刻・・・15分。他に一日の百分の一(十四分あまり)。一日の四十八分の一(三十分)。   *直・・・値と同じ。   *千金・・・漢代では黄金一斤を一金と言った。千金は大変高価であることを言う。   *清香・・・清らかな香り。   *陰・・・月がおぼろにかすんでいること。   *歌管・・・歌は歌声。管は管楽器で笙や笛の類を言う。   *楼台・・・高い建物。楼は高殿で二建て以上の建物を言う。   *細細・・・かすかに音がするさま。   *鞦韆・・・ぶらんこ。   *院落・・・屋敷内の中庭。   *沈沈・・・夜の静かにふけてゆくさま。


 (通釈)

  春の夜はほんのわずかな時間が千金の値うちがある。

  花には清らかな香りがただよっており、

     なんともいえぬ風情である。

  先ほどまで歌を歌ったり楽器を奏でたりして、

     にぎやかだった高殿も

        今はかすかに音が聞こえるばかり。

  中庭には置き捨てられたぶらんこが一つ。

  夜は静かにふけていく。




posted by 信風 at 21:55| 当月の吟題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする