詩吟は日本独自の伝統的な文化の一つです。日本人は奈良・平安時代の昔から漢詩を学び、自ら漢文で詩を作って来ました。 Chanting of a Chinese poetry or Japan-made Chinese poetry is one of the traditional culture unique to Japan. Japanese people learned Chinese poetry from the ancient times of the Nara-Heian period, and have made Japan-made poetry of Chinese letter by themselves. 


 タイトルをクリックすればリンクしているページが開かれます。

過去の吟題のリンク集

2018年03月24日

H30-04『百忍の詩』中江藤樹

5本の吟詠を入れ替えました。(4月2日)

百忍詩

      (5本)

 

 (2本)
(ひと)たび(しの)べば七情(しちじょう)(みな)中和(ちゅうわ)

(ふたた)(しの)べば五福(ごふく)(みな)(なら)(いた)

(しの)んで百忍(ひゃくにん)(いた)れば満腔(まんこう)(はる)

煕々(きき)たる宇宙(うちゅう)(すべ)真境(しんきょう)


百忍詩 

一忍七情皆中和   

再忍五jF竝臻

忍到百忍滿腔春

煕煕宇宙總眞境


以下の文は財団法人日本吟剣詩舞振興会編『吟剣詩舞道漢詩集』から引用させて頂きました。

【作者】中江藤樹(16081648)江戸時代初期の学者。通称は与右衛門、近江国(現在の滋賀県)高島郡小川村出身。藤樹は王陽明の知行合一説に傾倒し、わが国の陽明学の主唱者となった。41歳で病没。

【解説】藤樹自身の、陽明学に基づく人生観を述べたもの。「百忍」こそ藤樹の学問の真髄である。

【語釈】*七情・・・七種の感情。仏教では喜・怒・哀・楽・愛・悪(お)・欲。  *五福・・・人生の五つの幸福、寿命の長いこと・財力の豊かなこと・無病なこと・徳を好むこと・天命をもって終わること。  *満腔・・・いっぱいに満ちていること。  *煕煕・・・広々としいていること。  *真境・・・まことの境地。

【通釈】人間の感情は七種からなっており、この感情が直接表に現れると、思わぬことが起こるものである。まず、一度これを忍べばそれらの感情は一つにかたよらず、穏やかにやわらぐものである。さらに修業を積み、ふたたび忍ぶことが出来るようになると、人生の五つの幸福がすべて自分自身の周囲に集まるようになる。このように修業を積み重ね、百度も忍ぶことができるようになると、心の中はいつも春の暖かさに包まれ、広々とした宇宙で起こるすべての事象を楽しく受け入れることができるものだ。これがまことの境地とうものなのだ。

       

<寸評>今、国会では森友学園決裁文書問題で大混乱の状況です。安倍総理はじめ政権側はこの詩文のとおり、「百忍」の心境でしょう。一方、野党・一部のメディは「政権打倒」を掲げ怒り狂っています。彼らは「正しいこと」よりも「分かりやすい」ことに執着していて、国の大事については彼らの念頭にはないように見えます。


posted by 信風 at 12:35| 当月の吟題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月24日

H30-03『紅畔独歩花を尋ぬ』杜甫

紅畔(こうはん)独歩(どっぽ)(はな)(たず)  杜(と)(ほ)

男声用2本をコンダクターを弾きながら、女声用に8本の1オクターヴ下をカラオケ伴奏で入れます。

  (2本)

   (8本)

 (6本)

黄四娘(こうしじょう)(いえ)(はな)(けい)(み)

千朶(せんだ)万朶(ばんだ)(えだ)(あっ)して(た)

留連(りゅうれん)せる戯蝶(ぎちょう)時時(じじ)(ま)

自在(じざい)嬌鴬(きょうおう)恰恰(こうこう)として(な)


黄四娘家花滿蹊

千朶万朶壓枝低

留連戯蝶時時舞

自在嬌鶯恰恰啼


作者・解説・語釈・通釈は、財団法人日本吟剣詩舞振興会編より引用させて頂いております。

【作者】杜甫(712770)、盛唐の詩人。李白ともに唐代最高の詩人。李白・高適(こうせき)と交流があった。

【解説】杜甫が成都に住んでいたころ、浣花渓のほとりを一人で歩いていて、花をたずねて作った詩である。七首の連作であるが、この詩はその第六首めである。杜甫が成都に家(いわゆる「浣花草堂」)を建てたのは、杜甫49歳のときであった。これはそれから間もない頃の作品。杜甫の生涯のうちで、最も心の落ち着いていた日々であった。

【語釈】*紅畔・・・浣花渓のほとり。  *黄四娘・・・浣花草堂の近くの村のお婆さんの名前。「娘」は「むすめ」の意味でなく、年配の女性の称呼に用いる。  *蹊・・・こみち。  *朶・・・花のついた小枝。  *留連・・・そこに続けている。  *恰恰・・・鳥の啼き声。

【通釈】黄四娘の家では、花がこみちに咲きみちている。枝が枝を押しつけるように重なってたれている。いつまでも去らずに花に戯れている蝶はときどき舞い上がり、自由自在に啼く愛らしい鴬はコウコウと啼きたてている。 


【補足】有田信風

@ 成都は、中国の四川省の省都です。

A 高適(こうせき)は旧友杜甫が成都に住んでいたころ、杜甫の庇護者でありました。

B 高適の作詞に『除夜の作』と題する詩があります。

     旅館の寒燈 独り眠らず

     客心 何事ぞ 転(うた)た悽然(せいぜん)

     故郷 今夜 千里を思う

     霜鬢(そうびん) 明朝又一年

C 恰・・・ちょうど、あたかも二つの状況がぴったりと一致しているさま。

  恰恰・・・調和がとれているさま。特に音声がうまく調和するさま。

       「恰恰」は、杜甫の上記の作詞がもとで、後世に鳥の鳴き声として誤用されている。(三省堂『漢辞海』より引用)

posted by 信風 at 13:04| 当月の吟題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月27日

H30-02『桜花を讃う』角光嘯堂

桜花おうか)(たと) 角光(かくみつ)嘯堂(しょうどう)

(さ)(ほこ)桜花(おうか)紺碧(こんぺき)(そら)

(か)(かお)天地(てんち)古今(ここん)(かん)

(とり)(な)(ちょう)(ま)(はな)(わ)して(あそ)

風光(ふうこう)(てん)(み)ちて正気(せいき)(あらた)なり

(あした)(はな)(ゆうべ)(つき)満々(まんまん)として(は)

雄大(ゆうだい)にして(また)(しょう)万朶(ばんだ)(さくら)


 讃櫻花

咲誇櫻花紺碧空

香薫天地古今間

鳥鳴蝶舞和花遊

風光滿天正氣新

朝花夕月滿滿

雄大亦賞萬朶櫻


【作者】角光嘯堂

角光嘯堂の作に2012922日投稿の『旧都の月』の他、02017224日の『潮来の夕』ご参照。


posted by 信風 at 11:41| 当月の吟題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月23日

H30-01短歌・寂蓮作「村雨の」


【はじめに】

短歌の吟詠の形はいろいろあると思います。皇居における歌会始のときの吟じ方・詩吟の各流派での吟じ方にはそれぞれ違いがあります。

それは、@伝統的なもの A吟詠の節回しについて譜を付けた人・言うなれば「作曲者」の心情的なもの B吟じる人・言うなれば「歌手」の心情的なもの、などによる違いです。

信風会で共に詩吟の勉強をしているあるお方がこの短歌について吟詠の音階の譜を付けたものを見せてくれました。そこで以下のとおり二通りの吟詠を試みてみました。(コンダクターを弾きながら詠っています。)

 村雨(むらさめ) 露(つゆ)もまだ(ひ)(まき)は)

(きり(た)ちのぼる 秋(あき)夕暮(ゆうぐれ)

【作者】寂蓮(じゃくれん、1139年(保延5年)?−1202年(建仁2720日)):

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての歌人・僧侶である。俗名は藤原定長(ふじわらのさだなが)。(ウイキペディアより引用)


【語釈】*村雨・・・強く降ってすぐ止む雨   *槇:・・・スギやヒノキの総称

【歌意】(この風情は)ひとしきり降った村雨が通り過ぎた後、杉や檜の葉の上の雨の露がまだ乾かないうちに霧が立ち上ってくる秋の夕暮れであるよ。

【解説】

新古今和歌集

鎌倉時代初期、後鳥羽上皇の勅命によって編まれた勅撰和歌集。新興文学である連歌・今様に侵蝕されつつあった短歌の世界を典雅な空間に復帰させようとした歌集である。古今以来の伝統を引き継ぎ、かつ独自の美世界を現出した。『万葉集』『古今和歌集』と並んで「新古今調」を作り、和歌のみならず後世の連歌・俳諧・謡曲に大きな影響を残した。(ウイキペディアより引用)


後鳥羽上皇

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての第82代天皇(在位:寿永2820日(118398日)−建久9111日(1198218日))。文武両道で、新古今和歌集の編纂でも知られる。鎌倉時代の1221年(承久3年)に、承久の乱で鎌倉幕府執権の北条義時に朝廷側が敗北したため隠岐に流され、1239年(延応元年)に同地で崩御した。(ウイキペディアより引用)




posted by 信風 at 12:45| 当月の吟題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月24日

H29-12『河内路上』菊池渓琴

河内(かわち)路上(ろじょう) 菊池(きくち)(けいきん)

 

南朝(なんちょう)古木(こぼく)寒霏(かんぴ)(とざ)さる

六百(ろっぴゃく)春秋(しゅんじゅう)一夢(いちむ)(ひ)なり

幾度(いくたび)(てん)(と)えども(てん)(こた)えず

金剛(こんごう)山下(さんか)暮雲(ぼうん)(かえ)


南朝古木鎖寒霏

六百春秋一夢非

幾度問天天不答

金剛山下暮雲歸


※作者・語釈・通釈については『吟剣詩舞道漢詩集』(財団法人 日本吟剣詩舞振興会編)から引用しています。

【作者】菊池渓琴(17991881)、幕末明治の漢詩人。名は保定、字は小古、通称孫左衛門。渓琴と号し、別に海荘、七十二連峯とも号した。紀州(和歌山県)有田郡栖原村の人。本姓は垣内氏だが、遠祖が南朝の忠臣菊池武光であることから菊池を名乗る。家は代々豪農。父は孫左衛門淡斎、渓琴はその第二子。経史に通じ、武芸をよくし、詩を大窪詩仏に学び、佐藤一斉・頼山陽・広瀬旭荘・安積良斎・梁川星巌・藤田東湖・佐久間象山等一流の人物と親交があった。

【語釈】*河内路上・・・河内(大阪府)の金剛山の麓に楠氏の遺跡を訪ね、往時を追懐したのでこのように題した。  *南朝古木・・・実景を詠じたものであるが、後醍醐天皇が笠置山で「南木」(楠)の夢をみて正成の挙兵を予知された故事にかけている。寒霏・・・冷たいもや、」あるいは寂しいもや。寒畑ともいう。  *六百春秋・・・六百年。一年を春と秋によって代表させる。後醍醐天皇の笠置行幸からこの詩の作られたときまで五百余年たっており、概数をあげたのである。  *一夢非  一場の夢となった。世の中が全く変わってしまって当時のことは夢のように思われる。「夢」に「南木の夢」をひびかせている。  *問天・・・屈原の楚辞「天問」編をひびかせている。「天問」では屈原が続けざまに心に満ちた憤りを延べて、その疑問を天に問うている。  *金剛山・・・奈良県と大阪府の境に南北に連なる山脈の主峰。標高1125メートル。山頂は大和(奈良県)に属するが、一般に楠氏の遺跡は河内の金剛山として知られる。山腹に正成の築いた千早・赤坂・国見などの諸城址がある。古くは「こんごんせん」と呉音で読んだが今は「金剛山」と漢音で読むならわしになっている。

【通釈】南朝時代からの老木はあたりにたちこめた冷たいもやに包まれて、さびしく立ちならんでいる。思えば楠公の事績も六百年もたった今となってはむなしい一場の夢と化した。このこといくたびか天に向かってたずねてみたが、天の答えるはずもなく、ただ金剛山の麓に夕暮れの雲が寂しく帰って行くのを見るばかりである。


<補遺> 有田信風

・経書と史書。経書は四書・五経など儒教の教理を説いた書・経典・経籍。

・四書  『礼記』中の「大学」・「中庸」の二編と「論語」・「孟子」。

・五経  「易」・「書」・「詩」・「礼」・「春秋」の五経(ごきょう・ごけい)

・易   「易経」のこと。占いの理論と方法を説く書。

・書   「書経」のこと。中国最古の政治史・政教。

・詩   「詩経」のこと。中国最古の詩集。孔子の編といわれる。

・論語   孔子の没後、門弟などが孔子と弟子・詩人などの問答、弟子たち同士の問答、孔子の性行などを収録した書。

・孟子   孟子は中国戦国時代の哲学者。孔子の意を祖述して『孟子』七編をつくる。

・人物

  大窪詩仏  漢詩人。59歳の時秋田藩に出仕。江戸の藩校教授。

佐藤一斉  儒学者。生家は代々美濃国岩村藩の家老。

頼山陽   歴史家・思想家・漢詩人。

広瀬旭荘  儒学者・漢詩人。広瀬淡窓の実弟。

安積良斎  朱子学者。陸奥二本松藩の藩校の教授、後に昌平黌の教授。

梁川星巌  漢詩人。安政の大獄時捕縛の対象者であったが捕縛直前にコレラで死亡。

藤田東湖  水戸藩士・水戸学藤田派の学者。遠祖は百姓。

佐久間象山 兵学者・朱子学・思想家。吉田松陰の渡航失敗に連座し投獄された後出所。54歳の時暗殺された。

・紀元前1066年ころ、武王の時代に『四経』『書経』の一部が作られている。

・孔子  紀元前552年〜479年の人。中国春秋時代の思想家・哲学者。儒家の始祖。

・孟子  紀元前372年(?)〜289年の人。中国戦国時代の儒学者。

・春秋時代 紀元前770年〜431年。

・戦国時代 紀元前431年〜222年。

・その他伝承。

   赤穂浪士のひとり、武林隆重は孟子の子孫と伝わる。隆重の祖父は文禄・慶長の役で日本軍の捕虜となった明軍所属の猛二寛である。猛二寛は孟子から六二世の後裔で、医学を学んでいた。二寛は長州毛利家に仕えた。日本人の渡辺氏から妻を迎え渡辺姓を名乗った。その子・渡辺式重の長男は渡辺家を継ぎ、二男は分家して祖父・二寛が日本で使っていた「武林」という名字を家名とし、武林隆重と名乗った。

   『中国人と中国系人』(河出書房新社)と言う本を書いた孔健と言う方は、自己紹介で「中国青島市生まれで孔子の第75代目直系子孫にあたる」と書いておられる。


posted by 信風 at 23:38| 当月の吟題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする