詩吟は日本独自の伝統的な文化の一つです。日本人は奈良・平安時代の昔から漢詩を学び、自ら漢文で詩を作って来ました。 Chanting of a Chinese poetry or Japan-made Chinese poetry is one of the traditional culture unique to Japan. Japanese people learned Chinese poetry from the ancient times of the Nara-Heian period, and have made Japan-made poetry of Chinese letter by themselves. 


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過去の吟題のリンク集

2018年01月27日

H30-02『桜花を讃う』角光嘯堂

桜花おうか)(たと) 角光(かくみつ)嘯堂(しょうどう)

(さ)(ほこ)桜花(おうか)紺碧(こんぺき)(そら)

(か)(かお)天地(てんち)古今(ここん)(かん)

(とり)(な)(ちょう)(ま)(はな)(わ)して(あそ)

風光(ふうこう)(てん)(み)ちて正気(せいき)(あらた)なり

(あした)(はな)(ゆうべ)(つき)満々(まんまん)として(は)

雄大(ゆうだい)にして(また)(しょう)万朶(ばんだ)(さくら)


 讃櫻花

咲誇櫻花紺碧空

香薫天地古今間

鳥鳴蝶舞和花遊

風光滿天正氣新

朝花夕月滿滿

雄大亦賞萬朶櫻


【作者】角光嘯堂

角光嘯堂の作に2012922日投稿の『旧都の月』の他、02017224日の『潮来の夕』ご参照。


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2017年12月23日

H30-01短歌・寂蓮作「村雨の」


【はじめに】

短歌の吟詠の形はいろいろあると思います。皇居における歌会始のときの吟じ方・詩吟の各流派での吟じ方にはそれぞれ違いがあります。

それは、@伝統的なもの A吟詠の節回しについて譜を付けた人・言うなれば「作曲者」の心情的なもの B吟じる人・言うなれば「歌手」の心情的なもの、などによる違いです。

信風会で共に詩吟の勉強をしているあるお方がこの短歌について吟詠の音階の譜を付けたものを見せてくれました。そこで以下のとおり二通りの吟詠を試みてみました。(コンダクターを弾きながら詠っています。)

 村雨(むらさめ) 露(つゆ)もまだ(ひ)(まき)は)

(きり(た)ちのぼる 秋(あき)夕暮(ゆうぐれ)

【作者】寂蓮(じゃくれん、1139年(保延5年)?−1202年(建仁2720日)):

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての歌人・僧侶である。俗名は藤原定長(ふじわらのさだなが)。(ウイキペディアより引用)


【語釈】*村雨・・・強く降ってすぐ止む雨   *槇:・・・スギやヒノキの総称

【歌意】(この風情は)ひとしきり降った村雨が通り過ぎた後、杉や檜の葉の上の雨の露がまだ乾かないうちに霧が立ち上ってくる秋の夕暮れであるよ。

【解説】

新古今和歌集

鎌倉時代初期、後鳥羽上皇の勅命によって編まれた勅撰和歌集。新興文学である連歌・今様に侵蝕されつつあった短歌の世界を典雅な空間に復帰させようとした歌集である。古今以来の伝統を引き継ぎ、かつ独自の美世界を現出した。『万葉集』『古今和歌集』と並んで「新古今調」を作り、和歌のみならず後世の連歌・俳諧・謡曲に大きな影響を残した。(ウイキペディアより引用)


後鳥羽上皇

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての第82代天皇(在位:寿永2820日(118398日)−建久9111日(1198218日))。文武両道で、新古今和歌集の編纂でも知られる。鎌倉時代の1221年(承久3年)に、承久の乱で鎌倉幕府執権の北条義時に朝廷側が敗北したため隠岐に流され、1239年(延応元年)に同地で崩御した。(ウイキペディアより引用)




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2017年11月24日

H29-12『河内路上』菊池渓琴

河内(かわち)路上(ろじょう) 菊池(きくち)(けいきん)

 

南朝(なんちょう)古木(こぼく)寒霏(かんぴ)(とざ)さる

六百(ろっぴゃく)春秋(しゅんじゅう)一夢(いちむ)(ひ)なり

幾度(いくたび)(てん)(と)えども(てん)(こた)えず

金剛(こんごう)山下(さんか)暮雲(ぼうん)(かえ)


南朝古木鎖寒霏

六百春秋一夢非

幾度問天天不答

金剛山下暮雲歸


※作者・語釈・通釈については『吟剣詩舞道漢詩集』(財団法人 日本吟剣詩舞振興会編)から引用しています。

【作者】菊池渓琴(17991881)、幕末明治の漢詩人。名は保定、字は小古、通称孫左衛門。渓琴と号し、別に海荘、七十二連峯とも号した。紀州(和歌山県)有田郡栖原村の人。本姓は垣内氏だが、遠祖が南朝の忠臣菊池武光であることから菊池を名乗る。家は代々豪農。父は孫左衛門淡斎、渓琴はその第二子。経史に通じ、武芸をよくし、詩を大窪詩仏に学び、佐藤一斉・頼山陽・広瀬旭荘・安積良斎・梁川星巌・藤田東湖・佐久間象山等一流の人物と親交があった。

【語釈】*河内路上・・・河内(大阪府)の金剛山の麓に楠氏の遺跡を訪ね、往時を追懐したのでこのように題した。  *南朝古木・・・実景を詠じたものであるが、後醍醐天皇が笠置山で「南木」(楠)の夢をみて正成の挙兵を予知された故事にかけている。寒霏・・・冷たいもや、」あるいは寂しいもや。寒畑ともいう。  *六百春秋・・・六百年。一年を春と秋によって代表させる。後醍醐天皇の笠置行幸からこの詩の作られたときまで五百余年たっており、概数をあげたのである。  *一夢非  一場の夢となった。世の中が全く変わってしまって当時のことは夢のように思われる。「夢」に「南木の夢」をひびかせている。  *問天・・・屈原の楚辞「天問」編をひびかせている。「天問」では屈原が続けざまに心に満ちた憤りを延べて、その疑問を天に問うている。  *金剛山・・・奈良県と大阪府の境に南北に連なる山脈の主峰。標高1125メートル。山頂は大和(奈良県)に属するが、一般に楠氏の遺跡は河内の金剛山として知られる。山腹に正成の築いた千早・赤坂・国見などの諸城址がある。古くは「こんごんせん」と呉音で読んだが今は「金剛山」と漢音で読むならわしになっている。

【通釈】南朝時代からの老木はあたりにたちこめた冷たいもやに包まれて、さびしく立ちならんでいる。思えば楠公の事績も六百年もたった今となってはむなしい一場の夢と化した。このこといくたびか天に向かってたずねてみたが、天の答えるはずもなく、ただ金剛山の麓に夕暮れの雲が寂しく帰って行くのを見るばかりである。


<補遺> 有田信風

・経書と史書。経書は四書・五経など儒教の教理を説いた書・経典・経籍。

・四書  『礼記』中の「大学」・「中庸」の二編と「論語」・「孟子」。

・五経  「易」・「書」・「詩」・「礼」・「春秋」の五経(ごきょう・ごけい)

・易   「易経」のこと。占いの理論と方法を説く書。

・書   「書経」のこと。中国最古の政治史・政教。

・詩   「詩経」のこと。中国最古の詩集。孔子の編といわれる。

・論語   孔子の没後、門弟などが孔子と弟子・詩人などの問答、弟子たち同士の問答、孔子の性行などを収録した書。

・孟子   孟子は中国戦国時代の哲学者。孔子の意を祖述して『孟子』七編をつくる。

・人物

  大窪詩仏  漢詩人。59歳の時秋田藩に出仕。江戸の藩校教授。

佐藤一斉  儒学者。生家は代々美濃国岩村藩の家老。

頼山陽   歴史家・思想家・漢詩人。

広瀬旭荘  儒学者・漢詩人。広瀬淡窓の実弟。

安積良斎  朱子学者。陸奥二本松藩の藩校の教授、後に昌平黌の教授。

梁川星巌  漢詩人。安政の大獄時捕縛の対象者であったが捕縛直前にコレラで死亡。

藤田東湖  水戸藩士・水戸学藤田派の学者。遠祖は百姓。

佐久間象山 兵学者・朱子学・思想家。吉田松陰の渡航失敗に連座し投獄された後出所。54歳の時暗殺された。

・紀元前1066年ころ、武王の時代に『四経』『書経』の一部が作られている。

・孔子  紀元前552年〜479年の人。中国春秋時代の思想家・哲学者。儒家の始祖。

・孟子  紀元前372年(?)〜289年の人。中国戦国時代の儒学者。

・春秋時代 紀元前770年〜431年。

・戦国時代 紀元前431年〜222年。

・その他伝承。

   赤穂浪士のひとり、武林隆重は孟子の子孫と伝わる。隆重の祖父は文禄・慶長の役で日本軍の捕虜となった明軍所属の猛二寛である。猛二寛は孟子から六二世の後裔で、医学を学んでいた。二寛は長州毛利家に仕えた。日本人の渡辺氏から妻を迎え渡辺姓を名乗った。その子・渡辺式重の長男は渡辺家を継ぎ、二男は分家して祖父・二寛が日本で使っていた「武林」という名字を家名とし、武林隆重と名乗った。

   『中国人と中国系人』(河出書房新社)と言う本を書いた孔健と言う方は、自己紹介で「中国青島市生まれで孔子の第75代目直系子孫にあたる」と書いておられる。


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2017年10月27日

H29-11『寒夜の即事』寂室元光

寒夜即事 寂室元光


風攪寒林霜月明

客來清話過三更

爐邊閣筯忘煨芋

靜聴敲窓葉雨聲


寒夜(かんや)即事(そくじ) 寂室(じゃくしつ)元光(げんこう)


(かぜ)寒林(かんりん)(みだ)して霜月(そうげつ)(あきら)かなり

(かく)(きた)って清話(せいわ)三更(さんこう)(す)

炉辺(ろへん)(はし)(お)いて(いも)(や)くを(わす)

(しず)かに(き)けば(まど)(たた)(ようう)(こえ)


以下は、『吟剣詩舞道漢詩集〔絶句編〕』(財団法人 日本吟剣詩舞振興会編)からそのまま引用します。但し、数字はアラビア数字で示します。

【作者】寂室元光(12901367) 鎌倉・室町時代の高僧。臨済宗永源寺の開山。俗姓は藤原、名は元光、字は寂室。

美作(岡山県)の人。15歳で剃髪。元応2年、元に渡り、天目山で禅僧中峰に会い、その教えを受けて帰った。源氏頼から領国近江(滋賀県)の雷渓の地の寄進を受け、そこに永源寺を創設し、禅の道場とした。

【解説】いつどこで作られたか不明。山中の趣致と山僧の境涯を述べたもの。

【語釈】*即事・・・即吟に同じ。その場において詩歌を作る。またその詩歌。  *寒林・・・冬枯れの林。淋しい森。仏教では墓地をもいう。  *霜月・・・しも夜の月。寒月。  *清話・・・清談。俗世をはなれた話。  *三更・・・夜を五更に分けた第三の時刻。今の午後12時およびその前後1時間をさす。  *煨芋・・・芋は里芋。さつまいもではない。煨は熱灰に埋めて焼く。  *葉雨・・・雨のように降る落葉。

【通釈】 

時おり風がざわざわと

冬枯れの林の枝を鳴らして過ぎ、

  霜の白く置いた晩なので、

  ことに月の光は冴え冴えとしている。

  このような山寺にも

  人の訪れることがあって、

  浮世ばなれした話に時の移るのも忘れ、

  気がつけばもうとうに夜半すぎ、

  さすがに腹も空き、寒さも増してきたことゆえ

  熱い焼芋でもと思ったが、

  おやまた誰か来たらしく

  戸をほとほとと叩く音。

  今時分、また誰かきたのだろうといぶかり、

  炉ばたに火箸を置いてしばし耳を澄ませば、

  なんと、それは雨のように降りそそぐ落葉の音であった。


以下に若干の補足説明をします。仏教は古代インドの原典から漢字に翻訳されたものが日本に伝来された後、インドでも中国でも韓半島でも廃れてしまいました。漢字は中国では略された簡単な文字に変わり、韓半島では15世紀に発明されたハングル文字しか使われなくなり、日本と戦前日本の統治下にあった台湾だけで使われています。

日本人は詩吟で古代の漢字を学び、日常生活では漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字・外来語などを自由に使い、ものごとを自由に表現しています。

@ 禅

  禅はサンスクリット語のdhyāna、パーリ語のjhānaの音写です。因みにサンスクリット語は古代インド・南アジア・東南アジアで用いられた古代語、パーリ語は古代中西部で用いられた古代語で、いずれもアーリア語系の言語です。アーリア人は中央アジアの草原(樹木の無い平原で・ステップ地帯)を出自とする人々で、ペルシャ人(現在のイラン人)・タジク人・パシュトゥーン人・北部インド人などに分れた人々です。

A 禅宗

  文字は言葉の上には真実の仏法がないと言う立場で、中心的な経典は立てず、ほとけの悟りの機微は師から弟子へと受け継ぐべきものであってそれが仏法の派となって後世に伝えられるという考え方のもとに、座禅・修業に励む仏教の一派です。

禅宗の開祖は達磨・達磨祖師・達磨大師と呼ばれる古代インド人の仏教僧です。因みに、達磨はサンスクリット語のdharmaで、一口に言えば「法(=仏陀のおしえ)」の意味です。

禅宗は中国の唐の時代・から宋の時代にかけて発展し、モンゴル人が皇帝であった元の時代においてもその勢力は健在でしたが、明の時代になると衰退しました。漢族ではない女真族が皇帝になっていた清の時代でも仏教は栄えず、清王朝に次の中国共産党の時代になると仏教は激しい弾圧を受けています。

B 日本の禅宗


  日本の禅宗には臨済宗と曹洞宗と黄檗宗(おうばくしゅう)があります臨済宗は中国の南宋に留学した栄西が帰国後広めた宗派です。曹洞宗は、道元が栄西の弟子・明全に師事し、後に明全と共に南宋に渡り中国曹洞禅の只管打坐(余念を交えず、ただひたすらに座禅すること)の禅を、師の如浄から受け継いで印可(師がその道に達した弟子に与える許可)を受け、帰国後広めた宗派です。黄檗宗は江戸時代に始まった一宗派です。


posted by 信風 at 14:14| 当月の吟題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月15日

H29-10『秋思』劉 禹錫

 

自古逢秋悲寂寥

我言秋日勝春朝

晴空一鶴排雲上

便引詩情到碧霄


秋思(しゅうし)  禹錫(りゅう うしゃく)


(いにしえ)より(あき)(お)うて寂寥(せきりょう)(かな)しむ

(われ)(ゆ)秋日(しゅうじつ)春朝(しゅんちょう)(まさ)ると

晴空(せいくう)一鶴(いっかく)(くも)(はい)して(のぼ)

便(すなわ)詩情(しじょう)(ひ)いて碧霄(へきしょう)(いた)


【作者】先月の吟題『秋風の引』ご参照。

【語釈】*自(より)・・・前置詞。自古(「古」の前に置いてある字句)  *寂寥・・・ものさびしいさま。ひっそりしているさま。  *排・・・(ものをおしのける。おしひらく。  *便・・・副詞で「すなわち」と訳す。この「便」を動詞「引」の前に置く。  *碧霄・・・あおぞら。碧空。


【通釈】(財団法人日本吟剣詩舞振興会編『吟剣詩舞道漢詩集』より引用。)


  昔から人は秋になるとその静かで寂しいことを悲しむが、

  私は秋の日のなかのほうが春の朝に勝っていると言いたい。

  晴れ上がった空高く一羽の鶴が雲を押し分けて上がると

  人のうた心をいざなって、大空の上まで昇らしめるようである。


寸評:秋の感じ方は人それぞれですね。

   今からおよそ1230年前に生きていた中国の詩人・劉禹錫は、「大空が碧い」と認識したのですが、そのときその場所にいた別の人は「晴れた空に薄雲が漂っている」と認識したかもしれません。

   同じものを見ても、見る人の受け止め方は様々です。しかし、人は想像力を働かせて、自分が「空が碧い」と認識した事実をお互いに共有することが出来ます。

   しかし、最も確かなことは、「自分が認識したことは、自分に限った真実である」ということだと思います。

   

posted by 信風 at 15:19| 当月の吟題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする