秋風(しゅうふう)の引(いん)劉(りゅう)禹錫(うしゃく)
何(いず)れの処(ところ)よりか秋風(しゅうふう)至(いた)る
蕭蕭(しょうしょう)として雁群(がんぐん)を送(おく)る
朝来(ちょうらい)庭樹(ていじゅ)に入(い)って
孤客(こきゃく)最(もっ)とも先(さき)に聞(き)く
秋風引 劉禹錫
何處秋風至
蕭蕭送雁群
朝來入庭樹
孤客最先聞
【作者】劉禹錫(772〜842)中唐の詩人。中唐は西暦766〜835年の間。古文復興運動が盛んになり始めた時期です。劉禹錫は白居易(白楽天)とも親交があり、「詩豪」と称されました。
因みに、李白は「詩仙」、杜甫は「詩聖」、王維は「詩仏」と称されています。
古文復興運動とは、前漢(紀元前206〜紀元後208年)以前の古文(『孟子』・『荘子』・『荀子』・『史記』などの散文)を模範として、思想を自由に表現し、達意(言いたい内容を十分に伝える)を主とする文章を作るべきであるという主張、およびその文章上の運動です。
荀子は紀元前313〜238年)の人で、孔子(紀元前552〜479年)の学を伝え、礼を重んじたが、孟子の性善説に対して性悪説を主張しています。
なお、『史記』は前漢の司馬遷の著である古代中国の歴史書のことです。荘子は戦国時代(紀元前403〜211年)の思想家で、老子の「無為自然」の思想を受け継いで主張し、儒家と対立しています。老子は周代(紀元前1030〜256年)の思想家で、無為自然の道を唱え、自然の法則にも基づく「道」の絶対性を説いています。その言説は道家の経典として尊ばれ、老子は「道家の祖」と言われています。
「道家」は、礼儀・道徳を基調とした秩序ある社会を築こうとする「儒家」に対して、天性に従い、人為を否定する無為自然を尊び、無為によって外的な強制を拒み、外物に侵されることのないことを主旨とするものです。
(以上、大修館書店『漢詩漢文小百科』を参考に記述しました。)
【語釈】*蕭・・・@馬がいななく声の形容。Aひゅうひゅうと風の吹き抜けるさま。B風雨の音の形容。Cものさびしいさま。(「蕭」そのものは茎が細く葉の小さい草の名前で特有の香りがある「よもぎ」のことす。「蕭」は形容詞として「心細い・ものさびしいさま」を表現しています。) *朝来・・朝早くから。
【通釈】(NHK『漢詩への誘い』(石川忠久)2001年4月より))
どこからか秋風が吹きはじめた。
寂しげな風が雁の群れを送ってきた。
朝がたの庭の木々の間をわたって枝々をざわつかせるその音を、
耳ざとく、いち早く聴きつけたのは孤独な旅人の私である。
【感想】古代中国では思想を自由に表現し、達意を主とする文章を作ろうという運動がありました。「共産党一党独裁の王朝」のような現代の中国ではどうでしょうか?
「儒家」の学問である「儒学」には「朱子学」と「陽明学」があります。「朱子学」は学問研究と実践道徳とによって自己を完成すべきことを修養の目的としています。一方「陽明学」は、「致良知」「知行合一」などの実践道徳を強調し、万物すべて自分の心がもとであるとして、自分が天から授かった良知を完全に発揮することを修養の目的とします。
「知行合一」とは、知識と行為とは同一体のもので、真の知は必ず行を伴うものであり、知って行わないのは真の知ではないと説くものです。
(以上、『漢詩漢文小百科』を参考に記述しました。)
我が国の陽明学の大家は中江藤樹と熊沢蕃山です。江戸時代、一部の儒学者は藩校で朱子学を教えて俸禄を貰い、自宅では私塾を開いて陽明学を教えていました。これは半ば公認の形でした。陽明学はある意味では実用主義的な学問です。吉田松陰・高杉晋作・西郷隆盛・河井継之助・佐久間象山らは陽明学の影響を受けています。日本の近代化は江戸末期のそういう知性により成し遂げられたのです。
それに対して、当時の中国・朝鮮では朱子学一辺倒でした。同じ時代に日本で出来たことが中国・朝鮮ではできなかったのは何故でしょうか?
私は、それは我々日本人が16000年前から3000年前までの実に13000年間も続いていた縄文時代に身に付いたものを受け継いでいること、及び弥生時代以降我々日本人の先祖である縄文人が、大陸から渡来してきた人たち混血し、多様な考え方をする文化を獲得していたからだと考えます。ちなみに我々日本人のDNAは大陸の人たちのDNAとかけ離れていることが最近明らかになっています。その理由は、我々日本人が縄文人のDNAを受けて継いでいるからです。縄文人はアフリカ人・ヨーロッパ人の先祖に次ぐ古い系統の人類です。


