『野の仏』福田蓼汀
追分や泉のほとりの一樹の下に
秋風を聴き時雨に濡れ雪に埋れて
春遠からじと合掌し落花を浴び
蝉しぐれを迎え傾くは傾くままに
欠けたるは欠けたるままの姿で
じっと静止している石の仏
年月も文字もなく風化するまま往還の去来
盛衰の人の世を見守っている
野の仏には虚飾なき人間の願望や
慈愛の情が込められている
社会の変転現象を越えた誠の象徴のように懐かしい
【注記】
作者福田蓼汀は明治38年(1905年)に生まれ昭和61年(1988年)に他界された山口県萩市出身の俳人で登山家です。
この詩の吟詠は、私のプロフィールに記載の森川精修先生に教わった節調を思い出しながら、岳精流日本吟院総本部発行の横山岳精譜『詩吟教本(人の巻)』に従い私なりの思いを込めて詠じたものです。
私は、横山岳精先生に直接ご指導を頂いたことはありませんが岳精先生のお姿には良く接しておりました。私はこの詩を吟じながら岳精先生を大変懐かしく思い、岳精先生を身近に感じ、岳精先生の暖かい愛に包まれているような感じが致しております。
「往還の去来」の理解
私は、「往還の去来」とは親鸞聖人が作られた七言絶句の詩『正信偈』にある「往還回向由他力」の教えをそのまま表現されたものであろうと理解します。
因みにこの句は「極楽浄土に生まれる原因も結果も、極楽浄土に往くことも其処から還ってくることも、全て阿弥陀如来のお力に由るものであるから、ただひたすらに阿弥陀如来への信心を勧めるものである」という意味の中にあるものです。
この『正信偈』には「不断煩悩得涅槃」という句もあります。親鸞聖人は「阿弥陀如来への信心がひとたび起きれば、悩みを断たなくても涅槃を得て救われる」と説いておられます。
なお、昭和初期に活躍した劇作家・評論家倉田百三(明治24年(1891)2月23日〜昭和18年(1943)2月12日)は、「人間の精神生活の目的は成仏することである」と言っております。私は、「成仏」とは精神生活を究極に高め、悩みを断たずとも涅槃を得ることだと思います。


