無 心 良 寛
花は 無心にして 蝶を 招く 蝶は 無心にして 花を 尋ぬ
花 開く 時 蝶 来たり 蝶 来たる 時 花 開く
吾も 亦 人を 知らず 人も 亦 吾を 知らず
知らずして 帝則に 従う
【観賞】 吾亦人不知 われもまたひとをしらず
人亦吾不知 ひともまたわれをしらず
不知從帝則 しらずしてていそくにしたがう
この良寛の詩の中でこの部分は特に印象深い句であると思います。
この部分について各自各様の解釈があると思いますが、私は次のように解釈してみました。
自分も他人のことをよく知っていないが、
他人もまた自分のことをよく知ってはいない。
自分と他人とはお互いよく知り合うこともないまま
天の命じるとことに従い時の流れに従って
日々を送っているのである。
他人が自分を知ってくれないからとて
悩んだり、悲しんだり、怒ったり、もがいたりするのは
決して正しい生き方ではない。
自分自身も果たしてどれほどよく
他人のことを理解しているであろうか。
他人になにか喜びを与えるようなことをせず
自分に喜びが与えられることばかりを願うのは
間違っている。
それは天の命に反することである。
人それぞれ役割を与えられて
この世に生かされているのである。
その役割を知り、
その役割を果たすために努力することこそが
人生で最も大事なことである。
【作者】良寛(1758- 183年)は江戸時代末期の僧侶でした。本姓は山本、幼名は栄蔵、後に文孝(ふみたか)といいます。諸国行脚後、今の新潟県西蒲原郡国上(くにかみ)山の国上寺(こくじょうじ)の境内にある五合庵に入り47歳から13年間そこに住んでいました。
70歳のとき年が41歳もかけ離れていた29歳の貞信尼という女性と恋歌を贈答し、74歳のときその貞信尼に看取られつつ没しています。死に至るまでの贈答の恋歌は『蓮の露』と題して貞信尼が書き遺しています。その中に、「月は清し風はさやけしいざともに踊りあかさむ老の名残に」「霞立つ長き春日を子供らと手まりつきつつ今日も暮しつ」などがあります。
【語釈】*無心・・子供のように無邪気なこと。
『広辞苑』には他の意味として@何の考えもないこと、A情趣を解する心のないこと、などがあます。
*帝則・・『学研漢和大辞典』によれば「帝」は「世界をとりまとめる最高の神」のことです。また「則」は「いつもそのそばによりそって離れてはならない道理・手本・基準」という意味です。
孔子(紀元前551年‐紀元前479年)の編と言われている中国最古の詩集『詩経』に「不識不知順帝之則」(識らず知らず帝の則に順ふ、シラズシラズテイノソクニシタガウ)とあるそうです。辞書には「帝則」という語は載っていませんが、良寛は中国の『詩経』の中の詩を引用してある何かの書物で「天之則」という言葉を知っていたのでしょうか?

