雑 詩 王 維
客(かく)故郷より来(きた)る
応(まさ)に故郷の事を知るべし
来(きた)るの日 綺窓の前
寒梅花を著(つ)けしや未(いま)だしや
【詩の原文】
雑 詩 王 維
客自故郷來 應知故郷事
來日綺窓前 寒梅著花未
【語釈】
綺窓・・・彩衣などで飾ってある部屋。妻の部屋を意味する。
【大意】
一人の知人が私の故郷からやってきた。 彼はきっと私の故郷の様子を知っているに違いない。 私は彼に聞いてみた。「そなたが故郷を発つとき私の家の妻の部屋の窓の傍にある寒梅は花をつけていましたか?それとも花は未だでしたか?」と。 ああ、私の妻はどのように日々を送っていることであろうか!【作者】
王維(699〜759年、701〜761年という説もある。)。唐(618〜904年)が盛んであった時代、日本では奈良時代にあたる頃の詩人です。9歳で詩文を作ることが出来、草書や隷書もよくこなし、その当時の音楽にも通じていました。721年に進士の試験に合格し官吏になり、その才能を認められて抜擢の昇進をし、高い位の官職に就きました。玄宗皇帝が寵愛していた楊貴妃が結果的に処刑された原因となった安禄山の乱のとき賊軍に捕らえられ、賊軍側の仕官を強要されて心ならずも屈したため乱平定後反逆者として処刑されそうになったのですが、弟の縉(しん)(700〜781年)の奔走などにより官位の降格だけで済みました。王維は陶淵明の詩風を継承した田園詩人派の第一人者であり、絵画にも優れて南宋画の祖と仰がれています。また仏教を信じ、その人生観・文学観も仏教的静寂の境地に達していたので、李白が‘詩仙’、杜甫が‘詩聖’と呼ばれたことに対して、王維は‘詩仏’と 呼ばれています。第8次遣唐使の一員として唐に渡り、進士の試験を受けて合格し、唐の官吏になって要職を務め、52歳のとき日本への帰国を許されて帰国の途に就いたが嵐にあって果たせず、今のベトナムに漂着して再び唐の都・長安(今の西安)に舞い戻り再び官吏に復職し、唐で没した阿部仲麻呂(中国名・晁卿衡)とも親交があり、帰国の途に就いた仲麻呂のことを詩にしています。
【参考】
この詩は三首の連作で構成された詩のその二の部分です。細部は省略しますが、
その一は、旅に出ている夫のことを思う妻の立場から詠われている歌です。
その二は、旅に出ている夫の立場から、故郷に残した妻のことを思う歌です。
その三は、旅先の夫に妻から「寒梅」が咲いたと答える歌です。

