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静夜思(せいやし) 李白(りはく)
牀前(しょうぜん)月光(げっこう)を看(み)る
疑(うたご)うらくは是(こ)れ地上(ちじょう)の霜(しも)かと
頭(こうべ)を挙(あ)げては山月(さんげつ)を望(のぞ)み
頭(こうべ)を低(た)れては故郷(こきょう)を思(おも)う
静夜思 李白
牀前看月光
疑是地上霜
擧頭望山月
低頭思故郷
解説 有田信風
1 作者について
李白は西暦701〜762の人です。日本では奈良時代の前から奈良時代後期の天平文化が栄えた時代に相当します。李白の字は「太白」です。この名前は李白の母が太白星(明けの明星・宵の明星・金星)を夢に見て李白を生んだのでそう名付けたと言われています。
李白は十歳のときすでに『詩経』(孔子の編とも言われている中国最古の詩集)や『書経』(政治史など中国最古の経典)に通じていたと言われております。日本でも菅原道真や頼山陽など十歳そこそこの子供の時から優れた漢詩を作っていた人がいます。
李白は日々酒を愛し、各地を放浪しながら詩を作っていました。42歳のとき都・長安(今の西安)に行き、其処で酒に浸りながら詩の才能を発揮していました。その長安で賀知章(がちしょう)と出合い、賀知章の推挙で玄宗皇帝のそばで御用を勤める翰林供奉(かんりんぶぐ)となりました。有名な『清平調』三章は玄宗皇帝が楊貴妃と宮中の沈香亭(じんこうてい)というところで牡丹(ぼたん)を鑑賞しているとき泥酔中の李白を召して作らせたものです。
その後讒言に遭って宮中を追われたり、安禄山の乱で誤解されて処刑されそうになったりしています。その後各地を放浪し、六二歳で没しています。李白は日本人・安倍仲麻呂(唐での名前・晁衡。唐の官吏になっていたので李白が作った詩には「卿」の字を挟み「晁卿衡」と尊称されている)との交流がありました。
2 語釈
*牀前・・寝台の前。
*看月光・・「看」の字は誤りであり、本来「明月光」とすべきであると言われています。
3 通釈
静かな夜、私の寝台の前には月の光がさし込んでいる。
それは辺りが白く見えるような明るさであるので、その辺りがまるで霜のように見える。
光の元をたどって自分の頭を上げてみると山の上に明月が見える。
その明月を眺めていると故郷のことが思い出されてきて、知らず知らずのうちに私はうなだれているのである。
4 感想
放浪の詩人・李白は酒を愛し詩を作って日々を過ごして来たのですが晩年近くなってある所に居住していたときこの詩を作ったのだと思います。この詩を読む人には郷愁感を与え李白の心中を想像させますが、李白自身は詩文の中にそのような直接的な言葉を使っていません。ただ自分が一つの絵の中にいる情景を客観的に表現しているだけです。
一方、日本では菅原道真の『九月十日』には「恩賜の御衣今此(ここ)にあり、捧持して余香を拝す」という言葉があり、また道真が都を去る時作った歌には「東風吹かば 匂い起こせや梅の花 主なきとて春な忘れそ」というように、道真の非常に深い悲しみが込められており、読者に道真に対する同情の気持ちを起こさせます。
一方、乃木希典の『金州城外の作』は、その時の戦争で自分の部下として従軍した二人のご子息が戦死したことにも耐え、「山川草木転(うた)た荒涼 十里風な腥(なまぐさ)し新戦場 征馬進まず人語らず 金州城外斜陽に立つ」と、自分の息子たちも含め多数の戦死者を出した指揮官として感慨を淡々と詠っています。この漢詩には乃木希典自身の感情は直接的に表現されていませんが、読者に指揮官乃木希典の心情に対して共感を呼び、戦場の情景を想像させます。

