詩吟は日本独自の伝統的な文化の一つです。日本人は奈良・平安時代の昔から漢詩を学び、自ら漢文で詩を作って来ました。 Chanting of a Chinese poetry or Japan-made Chinese poetry is one of the traditional culture unique to Japan. Japanese people learned Chinese poetry from the ancient times of the Nara-Heian period, and have made Japan-made poetry of Chinese letter by themselves. 


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2013年12月05日

12月の吟題『余生』良寛

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 余生   良寛


雨晴雲晴れて(また)(は)

心清ければ遍界(へんかい)物皆清

(す)(す)てて閑人(かんじん)(な)

めてとに余生

 

雨晴雲晴気復晴

心清遍界物皆清

捐身棄世爲閑人

初月與花送餘生

 

【解説】有田信風

@    語釈

復・・副詞として「また」と読む。「もういちど」という意味。

遍界・・仏教用語で「あまねき世界」「三千世界」という意味。

捐・・音訓は「えん」、「すてる」という意味。訓読は「す(て)」。

棄・・音訓は「き」、「すてる」という意味。訓読は「す(て)」。

與・・音訓は「よ」。接続詞として訓読は「と」。「与」とも書く。

月與花・・「月と花」。意味として「花鳥風月」。


A    通釈

雨が上がり、雲も遠のき,私の気持ちもまたさっぱりしてきた。

自分の心が清ければこの世のあまねく世界のものは皆清いのである。

私はいま世捨て人として世間の雑事には関与しない暇な人間である。

初めて天地自然の美しい景色の中で余生を送っている自分に出会った。


B    良寛の生涯

良寛は江戸時代末期の禅宗の僧侶で歌人・漢詩人・書家で今の新潟県の出雲崎の人でした。名主で神職の山本家の長男で幼名は栄蔵、後に文孝と改めています。字は曲(まがり)、出家して大愚と称しました。良寛は父の跡を継がず18歳の時妻を離縁して出家し、22歳の時父の説得・母の哀願を振り切り、弟妹を捨て今の岡山県倉敷市の円通寺の国仙和尚に師事し修行に励みました。


34歳の時「好きなように旅をするが良い」と言い残してこの世を去った国仙和尚の言葉どおり僧侶として諸国を行脚した後、47歳の時今の新潟県燕市にある国上山(くがみやま)国上寺(こくじょうじ)の五合庵で暮らすようになりました。五合庵というのは「一日五合の米があればよい」と農家から貰い受けたことに由来しています。五合庵で泥棒に入られたとき作った句が「ぬす人に取り残されし窓の月」です。


59歳の時、乙子神社境内の草庵に居を構え、69歳の時、島崎村(現長岡市)の木村元右衛門邸内の物置を改築した建物に移り住みました。70歳のとき29歳の貞心尼を弟子に迎えています。貞心尼との間に恋歌の贈答を行っています。4年後74歳の時、貞心尼に看取られつつこの世を去っております。辞世の句は「散る桜 残る桜も 散る桜」でした。


posted by 信風 at 20:21| 当月の吟題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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