【はじめに】
短歌の吟詠の形はいろいろあると思います。皇居における歌会始のときの吟じ方・詩吟の各流派での吟じ方にはそれぞれ違いがあります。
それは、@伝統的なもの A吟詠の節回しについて譜を付けた人・言うなれば「作曲者」の心情的なもの B吟じる人・言うなれば「歌手」の心情的なもの、などによる違いです。
信風会で共に詩吟の勉強をしているあるお方がこの短歌について吟詠の音階の譜を付けたものを見せてくれました。そこで以下のとおり二通りの吟詠を試みてみました。(コンダクターを弾きながら詠っています。)
村雨(むらさめ)の 露(つゆ)もまだ干(ひ)ぬ槇(まき)の葉(は)に
霧(きり)立(た)ちのぼる 秋(あき)の夕暮(ゆうぐれ)
【作者】寂蓮(じゃくれん、1139年(保延5年)?−1202年(建仁2年7月20日)):
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての歌人・僧侶である。俗名は藤原定長(ふじわらのさだなが)。(ウイキペディアより引用)
【語釈】*村雨・・・強く降ってすぐ止む雨 *槇:・・・スギやヒノキの総称
【歌意】(この風情は)ひとしきり降った村雨が通り過ぎた後、杉や檜の葉の上の雨の露がまだ乾かないうちに霧が立ち上ってくる秋の夕暮れであるよ。
【解説】
新古今和歌集
鎌倉時代初期、後鳥羽上皇の勅命によって編まれた勅撰和歌集。新興文学である連歌・今様に侵蝕されつつあった短歌の世界を典雅な空間に復帰させようとした歌集である。古今以来の伝統を引き継ぎ、かつ独自の美世界を現出した。『万葉集』『古今和歌集』と並んで「新古今調」を作り、和歌のみならず後世の連歌・俳諧・謡曲に大きな影響を残した。(ウイキペディアより引用)
後鳥羽上皇
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての第82代天皇(在位:寿永2年8月20日(1183年9月8日)−建久9年1月11日(1198年2月18日))。文武両道で、新古今和歌集の編纂でも知られる。鎌倉時代の1221年(承久3年)に、承久の乱で鎌倉幕府執権の北条義時に朝廷側が敗北したため隠岐に流され、1239年(延応元年)に同地で崩御した。(ウイキペディアより引用)

